さくらんぼ穫り

意図と意味がないように。思い出と日記と好きな事。

佳代

高校が高円寺の近くだったから

高校時代はよく高円寺で遊んでいた。

 

 

地元からほぼ一歩も出ない生活をしていた僕は

地元からこんなにすぐ行ける場所に「高円寺」がある事を知らなかった。

 

高円寺。

中学二年生の頃に大好きになったGOING  STEADYの「銀河鉄道の夜」に出てくる

あの高円寺だ。

 

 

僕は好きな曲の中に地名が出てくると

何故かその場所に行きたいと思う人間だ。

 

だから高円寺に行く時少しテンションが上がっていた。

しばらくの間は毎回

GOING  STEADYの銀河鉄道の夜を聞きながら

高円寺に向かっていた。

 

 

そして高円寺によく行くようになって半年くらい経った頃、

GOING  STEADYの「佳代」という曲に出てくる「純情商店街」が高円寺にある事を知った。

 

 

僕は「純情商店街」をずっと比喩だと思っていた。

 

彼女と二人で純情な日々を過ごしていく

と言ったような意味合いであの部分の歌詞を捉えていた。

 

だから「純情商店街」を知った時は

アレが比喩では無かった事に少しだけショックを受けた。

 

 

 

 

話は戻るが

先にも述べた通り、僕は自分の好きな歌の歌詞に地名が入っていたらそこを訪れたくなる人間である。

 

さらに言うと

好きな歌の歌詞で、「地名で〇〇した」系の歌詞が出てきたら

その歌詞をまんま真似して再現したくなる人間でもある。

 

例えば「新宿で三回脱糞した」という歌詞が出てきたら

新宿で三回脱糞したくなる、といった具合だ。

(JASRACが怖くて架空の歌詞で例を挙げました)

 

多分その歌詞の行動をまんま真似することで

その人歌により共感出来る気がしたり、

その曲を作った人に少しだけ近付けたり

なんなら、その行動をしてる瞬間だけはその曲を作った人になった気持ちになれるから

歌詞の真似をするのが好きなんだと思う。

 

 

だからこの時も

真夜中の純情商店街を自転車二人乗りしたい

と思い、実行した。

 

 

 

しかしこの時は僕は

佳代という曲に全く共感しなかったし

峯田に近づけた気も、峯田になった気もしなかった。

 

 

何故ならこの曲で峯田が自転車の後ろに乗せているのは彼女であった佳代ちゃんだが

 

僕には自転車の二人乗りに付き合ってくれる女友達すらいなかったため、

同級生の童貞を自転車の乗せて真夜中の純情商店街を自転車で漕いだだけだからだ。

 

多分峯田が自転車を漕ぎながら背中で感じていたであろう

温もりとか、ドキドキとか、

その手のものを一ミリも感じる事が出来なかった。

 

感じたものは

「今佳代と同じ事をしてる!」という喜び5%を

「なんで童貞二人でしかこういう事出来ないんだろう」という虚しさ95%で割った

何とも言い難い感情だった。

 

 

こんな事やろうと言う俺はバカだと思う。

でも友達もバカだった。

「俺も峯田の方やる」と言って

今度は俺を自転車の後ろに乗せて友達が

真夜中の純情商店街を駆け抜けた。

 

 

峯田役を終えた友達も何とも言えない表情してた。

 

 

 

 

でもなんかこういうのが

GOING STEADY銀杏BOYZを好きな人間の

ステレオタイプな像な感じがする。

あと「佳代」の峯田のにはなれなかったけど

今考えると、この行動した時の僕は「青春時代」とか

その辺の峯田にすこーしだけなれていたような気がする。すこーしだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の一曲

佳代/GOING STEADY

佳代

佳代